主観と客観を論じるにあたっては、いくつかの伝統的な用語法が用いられている。多くの哲学者は、客観的実在という用語を、意識から独立して存在している事物を指すために用いている。これに対して、主観的実在とは、広い意味での意識に依存する事物を意味する。例えば、知覚されている色や音は、それらが意識作用に服している限りにおいて実在する。この他にも、とりわけ幸福や悲嘆などの感情は主観的実在であると考えらる。
客観的知識とは、文字通り客観的実在に関する知識である。これに対して、主観的知識とは、主観的実在に関する知識である。
他方で、別の用法によれば、主観的知識とは、ある個人の主観的状態に関する知識である。このような知識は、他者の主観的状態に関する知識から区別され、また当然に、客観的知識からも区別される。このような定義の下では、他者の主観的知識も客観的知識に属する。なぜなら、他者の主観的状態は私の主観的状態から独立しているからである。つまり、他者の主観的状態は、それが私の知覚に依存していないという意味で、私から見れば客観の一種である。
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最後に、最もよく知られている用語法は、ある主張が有する論拠との関連で用いられ、この場合には、客観的知識とは十分に根拠付けられた知識を言い、反対に主観的知識とは不十分にあるいはほとんど根拠付けられていない知識を言う。客観的に強力な論拠に支えられた判断や信念は、客観的判断ないし客観的信念とも言われ、理性的存在一般にとって満足のいく証拠にもとづいている。